宮迫博之の元相方でもある恵藤憲二は会社の社長もしていたと判明。

今晩放送の行列のできる法律相談所のゲストの一人として雨上がり決死隊の宮迫博之さんが出演します。今晩放送の法律相談所のテーマはというと、「今までず?っと黙ってましたが、もう時効なので告白しますSP!」というテーマですから、出演する方の過去にあった知られたくない話などが出てくるということですが、そうなると宮迫博之さんについてもなにやら知られたくないことなども出てくるのではないでしょうか。今回は、行列のできる法律相談所にゲストとして出演する宮迫博之さんの元の相手に関することをいろいろと調べてみました。

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引用先 http://haluroute.com/archives/2710



宮迫博之の元相方の恵藤憲二とはどんな方なのか?


お笑いの雨上がり決死隊で活躍している宮迫博之さんですが、現在の相方はというと蛍原徹であります。それで、今のコンビ名でもある雨上がり決死隊の名前の由来はというと、宮迫と蛍原がの二人が好きであったRCサクセションの曲『雨あがりの夜空に』から由来しているのだそうですが、今の名前で活躍し始めたのが、NSC同期生で行なったライブのときであったといわれていますが、実は雨上がり決死隊については、NHKのほうから放送上好ましくないというようなことがあり、暫定的に「雨上がり決志隊」として対処していましたが、現在では本来のコンビ名でNHKの番組などにも出ているというのですが、名前の由来はともかくとして今のコンビ名がNHKからも番組上ふさわしくないというような過去があったのには驚きでした。

それで、宮迫博之さんですが過去に恵藤憲二とコンビを「ぴいぷる」として活動していた頃もありましたが、相方の恵藤憲二が親の借金があるということから、宮迫博之とコンビを組んでいた「ぴいぷる」を解散したというのですが、そもそも宮迫博之の元相方の恵藤憲二はどんな方だったのかというと、出身地は大阪府で、NSCに通っていた頃は19歳でラーメン店を起業しその傍らで吉本興業のお笑い芸人養成学校でもあるNSCに通っていたという経歴を持っていたというのですが、その後、起業家に専念し、その結果吉本興行の出身者中でも歴代1位の成功者といわれるようになったというのですが、自分は宮迫博之さんが今の笑いの雨上がり決死隊を組む前のことなどはまったく知らなかったですし、そもそも相方の恵藤憲二氏という方がいたのをまったく知らなかったわけですが、人の運命とはどんなところが分岐点であったのかというのもわからないものですね。



宮迫博之の元相方でもある恵藤憲二氏は社長になった後、現在は何をしているのか?


宮迫博之の元相方でもある恵藤憲二氏については、NSCを離れた後、起業家に転向しましたが、これまでどんな会社を立ち上げたかというと、1990年代初頭から、大阪でオスカー(INSOU)グループというキャバクラ店を展開し、次々と店舗を増やしていき2000年代の前半には、お店の規模も関西だけに限らす、関東、中国、北陸、四国などに100店舗出店し、年商だけでも300億円の企業に成長させたというのですから、商売の才能があったということになります。


水商売の次は、有名グラドルも在籍した芸能事務所を立ち上げたり、女性向けのアパレルブランドを立ち上げるなどさまざまな事業を展開していったというのです。

ちなみに、恵藤憲二氏が社長として就任し立ち上げたブラインド名はというと、「マークスタイラー」というブランド名になります。

この、マークスタイラーには「EMODA」や「MERCURYDUO」などのブランドがあり、20代前後の若い女性の方を対象としたブラインドとしても知られており、同じブランド名の服をそろえる「EMODA族」を生むきっかけにもなったということでも知られています。


ちなみに、この「マークスタイラー」ブランドですが、2014年度の年商だけでも370億円の売り上げもあったというですが、これだけ成果を出せるというのも、恵藤憲二氏が商才があったということになりますが、その後自身が立ち上げたマークスタイラーの代表取締役会長を退任し事業を手放したのだというのですが、なんだかもったいない気がします。せっかく立ち上げた事業が伸びてきているときに代表取締役会長を退任したというのですから、何があったのかというのが自分でも気になります。
それで現在の恵藤憲二氏は何をしているのかというと、自身が立ち上げた事業を手放して得た巨額の売却益を得て、結婚しそして悠々自適な生活を送っているといわれていますが、そうしたことができたのも恵藤憲二氏自身の商才があったからできたものではないかと自分は思います。


まとめ。

雨上がり決死隊といえば、相方は蛍原徹だけだと思っていましたが、昔は恵藤憲二とコンビを「ぴいぷる」を組んでいたというのを初めて知りましたし、ぴいぷる時代の相方の恵藤憲二氏が商才があり、その後数多くの事業を展開して成功していたということも初めて知りました。